石川:シリーズ第3回目となる今回は、シーロム通りを取り上げたいと思います。先生、どうぞよろしくお願いします。
本記事の内容
シーロムとは「風車」という意味
石川:早速ですが、シーロムとは「風車」という意味だと聞いたことがありますが。
山田:そう。シーロムはラーマ4世時代に作られた古い道路で、もともとはタノン・クワーンという名前だったんだけど、西洋人が作った灌漑用の風車がランドマークになって、いつの間にかシーロム通りと呼ばれるようになった。外国人からはWindmill Roadとも呼ばれていたそうだ。
石川:シーロムも昔は野っ原だったんですね。ちなみにタノン・クワーンとはどういう意味でしょうか?
山田:クワーンは通せんぼのこと。ラーマ4世通りは最初はタノン・トロンと呼ばれていた。まっすぐな道路、という意味だね。その後シーロムができて、これがまっすぐな道路に通せんぼするようにぶつかる。なので、タノン・クワーン。
石川:へえ。昔は道路のネーミングもすごく単純だったんですね。
シーロムもサートーンも昔は運河だった
石川:シーロムは昔は運河だったという話をきいたことがありますが、そうなんですか?
山田:そうそう。シーロムもラーマ4世通りももともとは運河が本体で、道路は掘り出した土を利用して運河の脇につくられた、いわばオマケだった。前回取り上げたラーチャダムリもそう。サートーンは今でも道路の真ん中に水路があるよね。
石川:あ、1914年のバンコクの地図を見つけました。本当に運河だったんですね!
石川:ちなみに、この地図ではサートーン通りが「Po Yom 運河」となっていますが、昔は名前が違ったんでしょうか?
山田:Po Yomは「ポー・ヨム」だね。「ヨム親分の運河」。
サートーンは、チャオスワ・ヨムという中国人が、このあたりの広大な土地を買い上げて運河と道路の建設を行ったもので、後に彼が王様からもらった欽賜名がサートーン・ラーチャーユック。だからサートーン通り。彼から土地を買った人には西洋人も多かったそうだ。
石川:サートーンは西洋人が沢山住んでいるイメージがありますが、昔からそうだったんですね。それにしてもそんな大規模な開発ができたなんて、ヨム親分はかなりの有力者だったんでしょうね。
山田:彼のお父さんは阿片の徴税人をしていたチャオスワ・イムという人。
石川:阿片の徴税人!? いやはや…。でもまあ、そういう時代だったということですね。
有力者による土地開発事業の本音と建前
石川:こうして知識が増えてくると、タイは道路をつくった人が道路名の由来になっているケースがとても多いなと感じます。シーロム周辺だとシープラヤー通りとかもそうですよね?
山田:シープラヤー通りは、ラーマ5世時代にプラヤーの官位を持つ4人の官僚が一緒にあのあたりの広大な土地を買い占めて、道路をつくって国王に献上したという由来がある。なので、シープラヤー(=4人のプラヤー)通り。
山田:昔は官僚貴族や富豪が未開発の土地を買い占めて、そこに道路を建設し、国王に献上するということがよく行われた。そうすれば道路の維持費は国が出すし、道路脇の地価はほぼ確実に上がって資産が増え、子孫の代まで金持ちでいられるという。まあ、道路開発はとても旨味のあるビジネスだったんだね。
それは国にとっても開発の費用や手間が省かれるというメリットがあったんだけど、一部の有力者が便利な土地を独占することにもつながった。
シープラヤー通りの場合は、ラーマ5世も「この道路計画は国の将来のためというより、個人の利益のためではないのか」と意見を述べ、最初は献上を受け入れるのに否定的だったそうだけど、臣下のとりなしもあって1906年の道路開通式には行幸してくれたね。
石川:野っ原にどんどん道路ができてゆく100年前のバンコクの姿が目に浮かんでくるようです。シーロム界隈ですと、パッポンやタニヤもそういう土地開発ビジネスによって生まれた道路ですよね?
山田:パッポン通りは、あの辺りを開発したルワン・パッポン・パーニットという海南島出身の中国人が1950年に亡くなった時に、その名が道路につけられたそうだ。
石川:ルワンが官位で、パッポン・パーニットが欽賜名(王様からもらった名前)ですね。先生との対談で、昔のタイ人の名前のつくりがだんだんわかってきました。
それにしてもパッポンさんからすると、死んで数十年経ったら、自分の名前が付いた通りがああいう通りとして世界的に有名になったということですよね。それは狙ったものだったのか、たまたまそうなってしまったのか、いろいろと想像が膨らんでしまいます。
スリウォン?それともスラウォン?
石川:ついでにお聞きしたいんですが、スリウォン通りは「スリウォン」と呼ぶ人もいれば、「スラウォン」と呼ぶ人もいますよね、 一体どちらが正しいんでしょう?
山田:スラウォンだね。ラーマ5世時代にチャオプラヤーだったスラウォン・ワッタナサックという人が建設した道路だから、本来「スラウォン」が正しいに決まっているわけだけど、なぜか当初から人々は「スリウォン」と言い慣わしていた。今でも僕を含めてスリウォンと呼ぶ人が多いよね。
ンなどという語はタイ語にはないぞよ」という疑義が呈せられ、今後はスラウォン通りと呼ぶようお達しが出たり、しかし、その2日後には内務大臣ナコーンサワン親王の意見に従って「スリウォン通りとせよ、ただし綴りはスリヤウォンとせよ」というラーマ7世の命令が出たりして、政府内でもいろいろ混乱して大変だったみたい。
石川:へえ、そうだったんですね。いやあ、お陰様で長年のもやもやが晴れました。
サーラーデーンとタイ初の高層ビル「ドゥシタニホテル」
石川:最後に、サーラーデーンについても由来を知りたいです。サーラーは「東屋」、デーンは「赤」ということで、昔あのあたりに赤い建物があったと想像するんですが。
山田:今のドゥシタニホテルがある所に、バーン・サーラー・デーンと呼ばれる赤い屋根のお屋敷があった。最初は1880年頃に外国人が建てて住んでいて、その後王室の資産となり、1887年にチャオプラヤーだったスラサック・モントリーに下賜された(スラサック通りはこのスラサックさんの名に因んだ道路)。それが王室に返却されてしばらく空き家になった後、1910年には同じくチャオプラヤーだったヨンマラートさんに下賜された(スクムウィット通り建設の功労者のお父さん。詳しくは第1回を参照)その後また国に返されて、いろんな協会の建物として使われていたんだけど、1966年にドゥシタニホテル建設のために解体されたんだって。
石川:へえ、サーラーデーンはドゥシタニホテルのところにあったんですね。あそこの敷地は王室管財局からの借地だと聞いたことがありますが、なるほど話がつながりました。この対談の第1回で登場した人物もサーラーデーンにゆかりがあったりして、いろいろとつながって面白いですね!
石川:ドゥシタニホテルが完成したとき、タイで最初の高層ビル(23階建)、しかもデザインがかっこいいということで、当時の人々はとてもワクワクしたそうですね。その直後にスクンビット24と26の間にあるチョークチャイ・ビル(現在UOB銀行が入居している金色のビル)ができて、当時はこの2つのビルが遠くからでも見えた、という話を年配のタイ人から聞いたことがあります。
山田:日本人にとっての霞が関ビルみたいな感じかな。
石川:昔はドゥシタニホテルの最上階からチャオプラヤー川が見えたそうですね。
山田:僕も留学生時代に背伸びして最上階のレストランに行ったなあ。ティアラという名前だった。昔はデートコースのひとつの王道だった。お金が足らなくなって、彼女を人質においてお金を取りに戻ったなあ…。
石川:そんな事件があったんですね。最上階のレストランには僕は行ったことがなかったので、この機会に行ってみようと思います。来年解体されてしまいますし
山田:え、ドゥシタニって解体されちゃうの!?
石川:そうです。来年6月末で閉館だそうです。聞いた話ではドゥシタニグループとセントラルグループが組んで、アソークのターミナル21のようなホテルとショッピングモールの複合施設が建つらしいですね。建設費総額360億バーツのプロジェクトだそうです。
山田:そうかあ。
石川:開発もいいですが、思い出のデートの場所とかが消えてなくなっていってしまうのは、なんだかさみしいですよね。
山田:そうだね(しんみり)。
プロフィール
山田 均 Yamada Hitoshi
公立大学法人名桜大学国際学群教授
1959年東京都生まれ。宗教学者。1983年早稲田大学文学部東洋哲学科卒業。梵語と仏教学を平川彰教授に、タイ仏教を石井米雄京大教授に師事。タイ留学中クメール碑文をウライスィー・ウォーラッサリン教授に師事。タイ仏教僧団の研究論文により1988年小野梓記念学術賞を受賞。文学博士。好きな動物はシャム猫。
石川 貴志 Ishikawa Takashi
石川商事株式会社社長
1973年福島県生まれ。1996年早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。在学中に山田均氏の創設したサークル「タイ研究会」の活動に参加し、氏の薫陶を受ける。1999年に渡タイ、2002年バンコクにて石川商事を創業。
しゃむねこ先生の研究室を大公開!
しゃむねこ先生こと、山田均先生が教鞭をとる名桜大学は、沖縄県北部の名護市にあります。
近くには有名な「ちゅら海水族館」や、万座毛、辺野古の海などがあり、美しい自然に恵まれた素晴らしい環境です。
山田先生の専門は東南アジア仏教で、早稲田大学文学部大学院では、ラーマ4世によるタイの仏教改革に関する博士論文で権威ある賞を受賞。名桜大学では国際学群教授として、比較宗教論やタイ語の教鞭を取っています。そして柔道部の監督でもあります。
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